宮沢りえの母・光子さん死去…“一卵性母娘”の呪縛と壮絶秘話
「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います。」――。
母の死を受けて、宮沢りえ(41)が24日夜、書面で、こう思いをつづった。“りえママ”の呼び名で知られた宮沢光子さんが23日、肝腫瘍のため死去。享年65。通夜、葬儀はすでに近親者のみで執り行われたという。
光子さんは留学目的で渡欧した船中で船乗りだったオランダ人と知り合って結婚。73年にりえが誕生したが、生後4カ月で破局。その後、母の姉夫婦にあずけられたりえが、光子さんと同居するのは小学4年からで、保険の外交員や居酒屋勤めをする母親とようやくアパート暮らしが始まった。
りえは小5でモデルを始め、14歳で「三井のリハウス」のCMに出演し一躍スターに。その後は母ひとり、子ひとり、「一卵性母娘」といわれるほど濃密な関係性の中で芸能界を生き抜いてきた。
「りえママはすご腕のステージママとして、りえの仕事内容、交際相手、人間関係にいたるまで全てをプロデュース。りえはまだ10代の頃から六本木や四谷のバーなどでビートたけしや内田裕也、本木雅弘といったタレントや、芸能プロや映画会社の幹部など業界人と親しげに同席していましたが、常に店の外にはりえママの影がありました。写真家の篠山紀信に相談してヘアヌード写真集『サンタフェ』を仕掛けたのも、りえママの手腕です」(芸能ライター)