宮沢りえ×貴乃花“スピード婚約&解消”から30年…破局の真相と2人の運命の歯車を振り返る
女優の宮沢りえ(49)と、大相撲の元横綱でタレントの貴乃花光司(50)の“スピード婚約・破局劇”から30年が経過した。芸能史に残る2人の婚約、破局は未だ謎が多い──。騒動とともに、その後のそれぞれの歩みを振り返りたい。
「国民的美少女と呼ばれたりえが当時、貴花田(当時、関脇)のしこ名だった貴乃花と電撃婚約したのが、1992年10月27日。“世紀の婚約”と日本中が沸きましたが、翌年1月27日に婚約解消。婚約発表からわずか3カ月で破局しました」(元スポーツ紙記者)
りえは14歳の時、「三井のリハウス」のCMの初代リハウスガール、白鳥麗子役でブレーク。だが、りえの母親である故・宮沢光子さん(享年65)が所属事務所からの独立を画策。関係者の反対を押し切って、個人事務所を設立。その後、“りえママ”として剛腕マネジャーぶりを発揮していく。
■りえがブレーク後すぐに独立できたワケ
「売れた途端に独立なんて、普通なら潰されますよ。しかし、りえは芸能界の重鎮ご用達の六本木の寿司屋でスカウトされたようなもの。その人脈に守られて独立は成功した。新事務所にはりえを起用したいテレビ局のプロデューサーや大手広告代理店マンが日参していました。その中には、当時、松竹の奥山和由(69)プロデューサーがいました」(芸能ライター)