吉本興業前会長・大﨑洋さんは徹底した現実主義者の一面も 対談では「自分探し」ブームに喝!
「来期からNSCの講師やって」「新喜劇書いてみ」と次々にチャンスをくださった大﨑洋前会長の続きを。
有言実行、決めたらすぐに動く大﨑さんは、2011年には47都道府県での「住みます芸人プロジェクト」、16年には東南アジアを中心に世界に芸人たちを住まわせ、日本のお笑いを広げるプロジェクトを次々と立ち上げました。海外進出にさきがけ、大﨑さんからまたお呼びがかかり「日本語が通じひんでも笑いがとれるパターン考えて、外に(海外に)行ってる子にひな型書いたって。内容は任せるから早よ送ったってや」と言われ、慌てて数パターンを考えてワードのA4で10枚前後を送りました。
それから数年、東京五輪2020が決定した時には同じように「日本語がわからんでも通じる笑いを何十個か作って、チラシでも小冊子でもなんでもええやんか、何千万部かを来場者に“BY YOSHIMOTO”で渡そうや」と大﨑さんから提案があり、私も参画したのでした。
思いもよらないコロナで頓挫してしまいましたが、それでもいつか「KABUKI」のように「MANZAI」として海外に知られるようにしようと今も動いています。大﨑さんはいつも世界に目を向けておられました。