永野は“カウンター”な存在 予測できない不穏な存在であり続けたいのだ
芸人になってからは“普通”のことをやりたくなく、泥酔状態で舞台に上がったり、ライブの舞台転換を全裸でやったり「わざとルールをやぶって存在感を出そうとしていた」(テレビ朝日系「しくじり先生」20年7月13日)。28歳で「後輩に悪影響になるから」と事務所をクビになり、芸人として無収入に。結果、約20年もの間、地下芸人生活を余儀なくされた。
そして「偶発的に生まれたんじゃなくて、ものすごく狙って」(同前)作った「ラッセンが好き」のネタでブレークを果たす。
「僕的には面白かったんですよ。何十年ダメだったのに、腰振って奇声あげて世に出るって、なんか最高だな」(双葉社「THE CHANGE」23年6月16日)と俯瞰して見ていた一方で、そのネタを見て「元気が出る」などと言われることに強烈な違和感があった。
たくさんのテレビ番組に呼ばれるようになっても、テレビ仕様になることにも抵抗があった。「僕が影響を受けてきた音楽とか映画が根底にあるから、普通であることを許さない」(「文春オンライン」=前出)から、あえて誰からも求められないことをしていた。
「不穏であり続けたいんですよ。不穏って何が起こるかわからない。裏をかえせば予測不能」(同前)。だからこそ、永野は“カウンター”な存在であり続けるのだ。