歌手・原田悠里さんはコロナ禍は「立ち止まって考えるいい機会」…毎日2万歩で人生観に変化
原田悠里さん(歌手/68歳)
「木曽路の女」「津軽の花」がヒット、紅白出場で知られる原田悠里さんはコロナ禍では毎日のウオーキングが心の支えになった。同時に人生観も変わり、これからやりたいことが見えてきたという。
◇ ◇ ◇
天草の実家は農家でした。でも、子供の頃から畑仕事を手伝わされたという記憶はほとんどありません。一人っ子でおじいちゃん子。女の子はきれいに育たなきゃといわれて、大切に育てられたんでしょうね。
ただ、この頃、一生懸命、畑で働いていた父の姿が目に浮かびます。故郷へ恩返ししたいという気持ちが強くなったからかもしれません。今は天草で農業ができたらいいなって思っています。
天草って、独特な島なんです。殉教の島ですからね。世界に類を見ないような畳敷きの教会が残っていたり。裕福な島ではないけど、海と山の幸に恵まれ、食べる物には困ったことがなく、のびのびした環境で育ちました。
私の実家がある村には唯一サトウキビの圧搾工場があって、子供の頃はサトウキビを煮詰めたものを食べていました。それが甘くてとってもおいしかった。聞いたら今も作っているという。「私も何かお手伝いできないかな」って言ったら「よしみちゃん(本名)に農業は無理」と言われましたけど(笑)。
でも、私自身が直接できなくても、何かしらの形で携われたら。何ができるか、今、話をしているところです。あの甘くておいしいサトウキビをみなさんにも食べて欲しいですからね。
実家には誰も住んでいませんが、いとこが毎日行って、仏様にお水をあげたりしてきれいに管理してくれています。実家の庭にはいつもお花がいっぱい咲いています。故郷に帰っても泊まるのがホテルなら、帰ろうという気持ちになれませんが、大事にしてくれている実家があるので時々帰ります。そんな故郷が私には心の支えです。
コロナの間、25年間通っていたジムが閉鎖してしまい、仕方なくウオーキングを始めました。私は背が低いのでそれまでは10センチ以下のヒールを履いたことがありませんでした。ウオーキングをするようになってスニーカーを履くようになり、人生観が変わりました。
コロナ前は家からジムまで行くのも車を使っていました。歩いたら17分の距離なのに。それで気がついたことがたくさんあります。街の草花や木をきれいと思ったり、子供がパパやママと遊んでいるほのぼのとした姿を見たり、身近な情景にハッとさせられました。歩いて、電車に乗って、いろんな光景と出合う何げない生活が大事だと気づかされました。
それからは自宅から何時間もかかる場所、山手線のいろんな街まで毎日歩きました。3年間、歩数計をつけ、毎日1万5000歩から2万歩を歩き続けて鍛えられました。今では歩くことが日課であり、習慣です。