ザ・タイガースの“ピー”こと瞳みのるさん 35歳下の中国人女性と結婚、4歳児のイクメンパパはバンド活動で大忙し
瞳みのるさん(GS「ザ・タイガース」の“ピー”/76歳)
1960~70年代にGS(グループサウンズ)「ザ・タイガース」の一員として活躍したピーこと瞳みのるさん。タイガース解散後は慶応義塾高校の教師として長らく中国語・漢文を教えていたが2013年にタイガース再結成に参加、その後、自らバンドを率いて音楽活動を始めた。72歳の時に35歳年下の中国人女性と再婚し、男児が誕生したことが話題となった。ピーさん、今どうしているのか。
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「23日のバースデーライブのために毎日、猛特訓です。練習用の電子ドラムだから音は出ませんが、振動が階下に伝わるのでクレームが来ないように畳を積み上げてその上で叩いてます。はたから見たら、時代劇の牢名主みたいですね、ハハハ」
都内のホテルのラウンジで会ったピーさん、こう言って笑った。ご覧の通り、喜寿を迎えるとは思えない若さだ。
「中国から伝わった還暦や古希と違って、喜寿は室町時代に日本で生まれた独特の風習で中国にはないんです」
さすがは中国通。ところで音楽活動の傍ら、4歳児の父として「イクメン」真っ最中というが。
「1~2時間、歌いながらウオーキングをするのが日課です。到達地点はスーパーマーケット。そこで食材を買って帰るんです。昼と夜の食事は僕の担当で、毎回、料理をブログにアップしてます」
4歳のお子さんは幼稚園の年中組。
「活発でじっとしていないので、空手でも習わせようと近所の道場に連れて行ったら全然興味を示さない。今度はダンスを習わせようかなと思っています。母親とは中国語で会話するし、将来は日本語・英語・中国語に堪能なトライリンガルの国際派に育ってくれればいいですね」
さて、ピーさんは京都生まれ。同じ中学で仲の良かった岸部一徳、森本太郎らと高校時代にバンドを組んで活動していたが、加橋かつみと2歳下の沢田研二が加入し、「ファニーズ」として大阪で人気を博していたところを内田裕也にスカウトされ上京、1967年に作曲家・すぎやまこういちの命名によるザ・タイガースが誕生。「ザ・テンプターズ」「オックス」と共に「GS御三家」と呼ばれた。しかし、加橋の失踪事件もあり、71年に解散。ピーさんは京都に戻り、猛勉強の末に慶応大学文学部に合格。34歳の時には北京大学に留学し、帰国後は中国語の教師として慶応高校の教壇に立った。
解散以来、タイガースのメンバーとは一切連絡を絶っていたが、2008年に沢田研二がNHKの音楽番組「SONGS」でピーさんへの思いをつづった「ロング・グッバイ」(作詞=岸部一徳・沢田研二、作曲=森本太郎)を歌ったのをきっかけに友情が復活。37年ぶりに加橋も加わったタイガース再結成となった。