【対談】シンクロの母・井村雅代コーチ×NSC講師・本多正識氏(後編)自分で限界を決めてはいけない
中国五輪代表選考秘話
本多 中国五輪代表選考の話も驚きました。
井村 国としては「どうしても北京五輪でメダルを取りたい」と私を呼んだんですね。ところが、各省の袖の下が横行して、正当な評価で選考できない。
本多 で、どうされたんですか?
井村 成績順で上から選んだら、中国の水泳連盟から物言いがきました。「この子は若いから経験が足りない」とか言うから「経験は私がつけさせます!」と、口では負けへんと思うて(笑)応戦しましたけど、あちらも折れない。それで「みなさんの選ぶ選手でしたら、今のコーチ陣で4位までは入れますのでどうぞ。その代わり私は辞めさせていただきます」ってタンカ切ったんです、今考えるとあつかましいでしょ(笑)。私もなんであんな気が強くなれるのか自分でも不思議です。
本多 やはり勝負師なんだと思います。それでどうされたんですか?
井村 「わかりました、先生の思う通りにしてください。僕たちは後始末の話し合いをします」ってあちらが折れたんですよ。
本多 さすが世界の井村ですね! でも最近の若い子たちは目標が低いように思います。照れ隠しかもしれませんが、平気で「練習不足でした」って言う。だったら練習してから来るべきやし“君らの上に5000組もいるんだぞ、いらんこと言うな”って注意するんです。
井村 今の子は自分で限界を決めますよね。「限界どこにあんの? 指さしなさい! 自分で決めてるだけ」って言うと黙ります(笑)。
本多 親もよく頑張ったってホメますけどね。
井村 本多先生はホメたあと一言付けるでしょ? それが伸びしろやもん。
本多 ホメるって怖いんですよ。本多先生がホメてくれたって、そこで成長が止まるんです。
井村 スケール小さいですね。日本の教育が小さくまとまるのを良しとしているんですよ。それでもね、私たちはとがったところのある子たちと接している方ですけど。彼らの可能性を最大限伸ばして、日本を明るく、元気に、世界を驚かせてゆきたいですね。
本多 本当に似ているところが多いですね。
井村 お笑いと芸術性種目は、方法は一緒。「心を動かす」というのは一緒ですから。(おわり)
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▽井村雅代 1984年ロス、88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタ、2000年シドニー、04年アテネ五輪アーティスティックスイミング日本代表コーチ。06年年末から中国代表チームのヘッドコーチに就任し中国に初のメダル受賞をもたらし、その後イギリスでも指導。14年からは日本代表コーチに復帰。
▽本多正識 1958年大阪府生まれ。オール阪神・巨人、今いくよ・くるよらの漫才作家として活躍。NSC講師歴35年のキャリアから生まれた「1秒で答えをつくる力」(ダイヤモンド社)は累計8刷10万部、中国出版も決定。