俳優・横内正さんのエネルギー源は「望まれること、評価されていることはやり続けること」
横内正さん(俳優)
長年、「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」といった時代劇の顔的存在だった横内正さんはシェークスピアの重厚な演劇を上演し続けている。今もカクシャクとして演劇に取り組むことができるエネルギーの源は何か。
◇ ◇ ◇
時代劇との関わりは僕にとっては想定外のことでしたね。出身は新劇の俳優座です。新劇でやるのはシェークスピアの演劇などですから、当時はまさか時代劇に出るような人生になるなんて思ってもみなかった。
劇団では運営を維持するために、劇団員がマスコミの仕事をします。マスコミとはテレビや映画出演などのことです。劇団は出稼ぎして得たお金を運営に回すような仕組みになっていました。僕は京都の撮影所に行って時代劇に出ることになり、それが「水戸黄門」の初代格さんです。
スタートは1969年。当時は時代劇がたくさん作られていました。僕はやってもワンクール(13回)くらいかなと思っていた。ところが、1年続き、2年……いつまで続くのかと思い始めました。格さん、時代劇のイメージを払拭しないと他の仕事に影響するんじゃないか。それで6年目に降板を申し出たのですが、大変な騒ぎになってしまいましてね。裏切り者みたいな言い方までされました。何せ、大人気番組でしたから。
それで慰留され、僕としては奉公の意味で1年と思ったのに、2年続きました。2年たって、これで時代劇と縁が切れると思ったら、引き続き時代劇が決まってスタートすることになった。新人の松平健さんを抜擢した「暴れん坊将軍」です。僕は南町奉行の大岡忠相をやることになった。健ちゃんが僕よりも一回り年下なので、そのサポートをしてくれということだったようです。
そして同時にTBS系で「大岡越前」が始まりました。主役は僕と俳優座養成所の同期の加藤剛です。同期の2人が大岡忠相をやっているから、最初は散々イジられたけど、結局19年も続きました。「水戸黄門」をやめ、時代劇から解放されたと思っていたのに、次の「暴れん坊」はとんでもないロングラン。でも、「水戸黄門」の時と同じような事件を起こしたらまずいと思って、向こうから「結構です」と言われるまでやめないで続けました。
僕は新劇出身では、時代劇で重用された俳優として、知られている方でしょうね。時代劇の所作とか、殺陣、せりふとかが評価されたんだと思います。考えてみれば、それは僕にとってひとつの財産、勲章かもしれないと今は思います。
「水戸黄門」は始まって今年で55周年になるそうです。視聴者に愛されている代表的な時代劇になりました。全国どこに行っても「格さん」と声をかけられたり、例えば老人介護施設に慰問に行くと「水戸黄門」の「人生楽ありゃ苦もあるさ」と歌って迎えてくれる。本当に親しまれているとわかります。
教訓は、評価されているもの、望まれることはやった方がいいということです。最近になって僕がやった時代劇はみなさんが好意を持って受け止めてくれていると、肌で感じることができるようになった。だけど、若い頃は役が限定されて嫌だとか、これじゃ世界が広がらないとか危惧している部分があり、早く今を脱したいと焦っていたということに尽きますね。
つまり、自分の身勝手でやめたりするのはいかがなものかということ。望まれてやっていることをもっとポジティブに受け止めてそれはそれ、これはこれで、他の役をやっている時に、格さんをやっている俳優がこんな役でも出てるということでいいんじゃないかと思えるようになりました。