「もしもピアノが弾けたなら」作曲家・坂田晃一さんが明かす西田敏行さんの知られざる逸話
坂田晃一さん(作曲家/83歳)
昨年10月、俳優・西田敏行さんが他界(享年76)。追悼番組などではヒット曲「もしもピアノが弾けたなら」が何度も流れ、素朴な歌声とともに優しいメロディーや美しいピアノのイントロ、間奏が胸に染みた。作曲・編曲を手がけたのは、1980年代を中心に、人気ドラマの音楽を多く手がけた坂田晃一さんだ。坂田さん、今どうしているのか。
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「西田さんは実は歌が得意で、エルビス・プレスリーの歌真似はうまいし、即興で目の前の人を題材に歌を作れる器用な方。だから、『もしも--』のレコーディングのときは、メロディーを少し崩したり、ご自分流の歌い方をされたんです。僕が『楽譜どおり、自然な感じで歌ってほしい』とお願いしたところ、西田さんは素直に受け入れ、2回目のレコーディングのときには、僕の希望どおりに仕上げてきてくれました」
JR目黒駅から徒歩5分の自宅で会った坂田さん、まずはこう言った。
「西田さんとは後に、僕が所属していた小淵沢の乗馬クラブで再会しました。主演映画『敦煌』(88年公開)の撮影に乗馬が必要で、西田さんは合宿に来られたのです。お尻の皮がむけ、はいていたジーンズに血がにじむほど熱心に取り組まれていましたね。夜には、クラブハウスで事務所の方々も交えお酒をご一緒しました。周りを気遣われながら、そのときは静かに飲んでいました。優しくて繊細で、役者としては唯一無二の大きな存在でしたから、亡くなられて本当に惜しいです」
坂田さんは83歳という年齢が信じられないほど、お元気そうだ。
「前立腺がんではあるんです。でも、医師にいわせると“しょぼいがん”で(笑)、ごく小さいので積極的な治療はせず、半年に1度の監視療法を続けています。普通に生活でき、毎週土曜日は所属する市民オーケストラ『新交響楽団』の練習に通い、月2、3回は千葉で乗馬を。運動不足解消に40代で始めた乗馬のおかげで、元気なのだと思います」
83歳で乗馬とは……!
「新交響楽団」はアマチュアとはいえ、作曲家・芥川也寸志氏が56年に結成した、オーディションを経なければ入団できない由緒あるオーケストラ。作曲家デビュー前、東京芸大でチェロを専攻していた坂田さんは、同楽団のチェリストなのだ。
「この7月に東京国際フォーラムで行う演奏会では、『おしん』と、僕が手がけた大河ドラマ『おんな太閤記』『いのち』『春日局』を演奏するので、今、そのためのリアレンジをしている最中です。それから、新交響楽団から委嘱を受けまして、来年7月に書き下ろしをお披露目する予定。この年齢になりましたから、ドラマ音楽などの商業音楽を積極的に作るより、芸術音楽を生きているうちに残したい、と一生懸命取り組んでいます」
リビングにはチェロや電子ピアノ、作曲・編曲のためのパソコン、そのモニターには書きかけの「おしん」の楽譜が表示されている。
「『おしん』のテーマ曲は、既存の楽器の自然な音だけではなく、ある楽器の音に、ダルシマーという打弦楽器の音を録音してから周波数を倍にして再生したものを加えています。『おしん』はNHKテレビ放送開始30周年作品として1年間の放送だったので、飽きずに、そして『あ、朝ドラが始まった』とすぐに気づける印象的な音楽を、と心がけて作りました」