『1980 僕たちの光州事件』幸せな家族の視点から非常戒厳の残虐性を追求。軍隊はなぜ市民を殺したのか?
『1980 僕たちの光州事件』シネマート新宿ほか全国公開中
昨年12月、韓国の尹錫悦大統領が非常戒厳を宣布し、国内を大混乱に陥れた。このとき日本のマスコミは「45年ぶりの非常戒厳」と報じた。前回の非常戒厳令は朴正煕大統領が暗殺された1979年10月26日の翌日(27日)に、済州島を除く韓国全土に出された。
翌80年5月17日、政治の実権を握っていた保安司令官の全斗煥は非常戒厳令の適用を全国に拡大。18日、金大中を逮捕した。これに反発する形で光州市(現・光州広域市)において民主化デモが活発化。全斗煥は光州市を封鎖して戒厳軍を投入、デモ隊の鎮圧を命じた。光州事件(5月18~27日)である。
この事件では軍が学生や市民に激しい暴行や実弾射撃を行い、多数の犠牲者を出した。2005年に市民団体が発表した調査結果では、ケガや後遺症による死亡も含め、死者は606人に達するという。
光州事件については「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」(2017年)が有名だ。ドイツ人ジャーナリストを乗せたタクシーが光州市にたどり着き、軍による市民の虐殺を世界に報じるストーリー。ジャーナリストも運転手も実在の人物だったことから、話題が話題を呼んで大ヒットとなった。
この「1980 僕たちの光州事件」は光州市で料理店を経営する家族の視点で戒厳軍の残虐行為を描いている。主人公はチョルスという少年だ。
朴正煕大統領が暗殺され、「ソウルの春」と呼ばれる民主化が実現するかに思えたが、全斗煥のクーデターによって事態は悪化。韓国の政治に春はこなかった。そのことを踏まえ、「5月の光州では季節外れの冬が始まろうとしていた」というテロップとともに物語が始まる。
1980年5月17日。チョルス(ソン・ミンジェ)の祖父(カン・シニル)は念願だった中国料理店「和平飯店」をオープンさせる。チョルスの父サンウォン(イ・ジョンウ)は民主化運動を指揮し、当局に追われているため家にはいない。チョルスは隣人で美容院の娘ヨンヒと仲良し。ヨンヒの父のジョンファンは勲章をもらったこともある軍人だ。サンウォンの弟サンドゥ(ペク・ソンヒョン)には美しい婚約者がいて、間もなく結婚する予定である。
料理店の経営が順調で家族が結婚間近というお祝いムードの中、店の外では軍が学生を追いまわして警棒でなぐりつけるなど、周辺がきな臭くなっていた。あるとき潜伏していたサンウォンが逃げ込んだため、家の中に軍人が乱入。サンドゥが連行される。サンドゥは激しく殴られたあげく水責めの拷問を受け、ジョンファンから「兄貴の居所を吐け」と拳銃を突きつけられるのだった……。