泉谷しげる 過激発言でワイドショー打ち切り
<1972年8月>
シンガー・ソングライター、俳優として息の長い活躍を続ける泉谷しげる(64)は若い頃から毒舌でも有名だった。フォークソングブームの70年代初め、泉谷も吉田拓郎と並ぶフォーク界の若手スターとして人気が高かったが、生放送で大暴れしてワイドショーが打ち切られる騒動があった。
8月12日正午から日本教育テレビ(現テレビ朝日)のスタジオでは「土曜ショー」の生放送が行われていた。「土曜ショー」は66年4月から始まったワイドショーの草分け的な番組のひとつで、もともと高島忠夫が司会の主婦向けの番組だった。71年に司会が野末陳平に代わり、公害や自衛隊、沖縄問題など硬派なテーマを取り上げる異色番組として知られていた。
当日のタイトルは「禁止! 禁止! それでも歌う!!」。当時のフォークソングは反戦歌などのメッセージソングや性や下ネタを取り扱った曲も少なくなく、いわゆる「放送禁止」は身近な問題だった。この日は90人の若者を集め、自主規制コードを作って放送禁止にしているマスコミのあり方を考えて討論させようというものだった。