「ウチのおとーちゃん」と略奪婚だった大屋政子
<1950年5月>
派手なピンクのミニスカートと甲高い声で人気だった大屋政子。「ウチのおとーちゃん」の口癖でも有名だったが、この“おとーちゃん”とは50年5月、29歳の時に結婚した「帝人」のワンマン社長、大屋晋三氏(当時55)。結婚時は運輸大臣を務めていたが、政子との交際がスタートした時は別居中の妻がいた。現役大臣の不倫再婚は、戦後マスコミを賑わせる騒ぎになった。
政子は衆議院議員、森田政義の娘として生まれたが、声楽家を目指してコロムビアに入社。戦争中は軍属歌手として工場などへの慰問公演を行っていた。戦後もテイチク専属歌手として御風真弓の芸名でレコードもリリースするなど、芸能活動を行っていた。
転機は47年、晋三氏の参院選出馬。一時的に帝人を離れて政界進出を目指す晋三氏は父・森田の地盤を持つ政子に選挙応援を依頼した。親子ともいえる年の差の2人。政子は後にぶら下がるようについて回り、「ウチのパパはねぇ」と言いながら選挙運動をして当選を支えた。政子は当選祝いの客たちにも「ウチのパパがね」と口癖のように繰り返した。