「ウチのおとーちゃん」と略奪婚だった大屋政子
当時、晋三氏には妻がいたが、別居中。身の回りをサッパリかまわない性格で、洋服の下はボロボロのシャツを着ていたという。しかし、当時の政子は「選挙中、お付き合いしているうちに大屋さんがお気の毒でたまりませんでした。でも、その頃の私は奥さんとの仲がうまくいくよう祈っておりました」と復縁を願っていたという。
しかし、晋三氏と妻の距離は離れるばかり。大臣就任後間もなく肺炎で倒れた際にも、政子は付きっきりで看病した。看病のため上京した妻は、政子の存在を知ると数日の滞在で引き返す。晋三氏と政子との間には娘も生まれ、離婚協議が本格的に進められるようになった。
時には子連れで国会を訪れた政子は「パパ、パパ」と晋三氏の後を追いかけ、参議院食堂の真ん中で歌を披露することもあったという。マスコミは「現役大臣の新版・老いらくの恋」と面白おかしく書きたて、世間では賛否両論が巻き起こったが、晋三氏は政子と50年5月に結婚、直後の参院選でも見事再選を果たした。
その後、晋三氏は56年の参院選に出馬せず、政界を引退、帝人の社長に復帰した。結婚とともに芸能活動を停止していた政子は財界に進出、帝人の陰の女帝として“台風レディー”の異名とともにゴルフ場を経営するなど活躍した。「パパ」の口癖はいつしか「お父ちゃん」に変わり、東急社長の五島昇氏からは“お父ちゃん夫人”のニックネームまでもらうようになった。