ひっそりこの世を去った 昭和の大女優 沢村貞子
日頃から「人間は10日も食べないと自然に死ぬそうだよ」と周囲に語っていて、食事が喉を通らなくなった際には流動食を勧めたが、食べなかったという。
死去はお盆の真っ最中の8月16日。病院に運ばれることもなく、自宅マンションで静かに息を引き取った。最期をみとったのは40年来、身の回りの世話をしてきた女性。死因は心不全だった。
もっとも、死後はその気丈な様子が伝わってきた。衰弱し、トイレもままならない状態になっていったが、他人の世話になることも拒否。沢村は芸能一家の生まれ。兄は4代目沢村国太郎、弟は加東大介、甥っ子は津川雅彦だが、津川が沢村を見舞った際にはもう口も利けない状態なのに、自分の力でトイレに行く姿を見て、鬼気迫るものを感じたと語っている。
に離婚している。離婚の原因は新聞記者で後に出版社を経営する大橋恭彦との関係。大橋には妻もいて駆け落ち同然で同棲生活を始めた。正式に籍を入れたのは68年だが、ずっと連れ添った伴侶だった。その大橋の三回忌の法要は同年7月17日。津川らには「三回忌まではきちっとやる」と宣言。当日は化粧し、和服も着こなして、病床にあることを知られないように来客の応対を務めた。