「覚醒剤と日本軍」我らは戦争の何事もまだ語れていないままだ
おばあさんからの聞き書きをまとめた「ヒロポンと特攻-女学生が包んだ『覚醒剤入りチョコレート』梅田和子さんの戦争体験からの考察」(相可文代著)という冊子が自費出版されている。日本の侵略戦争に指導者らと民衆はどこまで戦争責任を果たしたのかと鋭く問うものだ。特攻の偽らざる実録本は読んだことがない。これも手元になくて未読だが、ここに紹介しておきたい。ニュースでは鹿児島の海軍基地にいた軍医も「ヒロポンと知らず、上官の命令で『出撃前にやれ』と特攻隊員300人に注射した」と。
眠気覚ましだと軍医に打たれ、終戦後も中毒症状に悩まされ、軍が隠匿していたヒロポンの闇市場に隊員の生き残りたちが群がった話は本で読んだが、この生証言に勝るものはない。西村晃さんが水戸黄門役の休み期間中の、我が映画「犬死にせしもの」(1986年)に出ていただいた時、晃さんは撮影所の喫茶室で「私は予科練上がりの特攻隊だろ。先輩をたくさん見送ったんだよ、悲しかったな。でもさ、あのポン打って出てったのはほんとだよ。あと、操縦かんと股の間に日本酒の小瓶もしまって出ていったんだ。ニュース映画で見る別れの杯を一杯なんて広報用の演出だよ。一杯ぐらいじゃ特攻は無理だよ」と。そして「井筒くん、君らの世代がそれを描く番だ。私ら戦争世代が語れなかったことをやってほしいな」と言われたのを思い出す。西村晃は反戦の演劇人として生きた名優だった。我らは戦争の何事もまだ語れていないままだ。