「はなかみ先生」の思い出 あの頃は鼻汁を垂らした子供がたくさんいた
私がまだ、小学校に入学する前のお話です。
山形にある実家の前は田んぼで、町や駅の方へは少し盛り上がった踏切を越えて行きます。線路の向こうには、魚屋があって、その奥に母の実家がありました。砂利道でしたが、夏はアイスキャンディーの旗を立てた自転車が、冬は馬そりが通りました。ある時、私はひとりで母の実家に向かう道中で「はなかみ(鼻紙)先生」に出会いました。はなかみ先生は、鼻汁が出ている子供を見つけると、その子をつかまえて、小さく切った新聞紙ではなをかんで、拭って歩いていました。子供の顔には黒い新聞のインクの痕がつきます。
私たち子供はそれが嫌で、はなかみ先生を見つけるといつも走って逃げました。しかしその時は、私は先生につかまってしまい、はなをかんで拭いてもらうことになりました。
あの頃は、どうしてか青い鼻汁を垂らしている子がたくさんいました。その子の服の袖は鼻汁を何回も拭ったせいでテカテカと光っていました。
今、インターネットで調べてみると、はなかみ先生の経歴が書かれています。それによると、先生は若い頃にアメリカに渡り、苦労して英語、絵画、音楽などさまざまなことを勉強した、とあります。
古里に戻った先生はアメリカで学んだことを人々の生活に生かしていこうとしていたようです。特に子供たちには「はなをかむ」という習慣がなく、先生は毎日のように町や村を回り、子供たちにはなをかむことの大切さを語って歩いたのです。そしていつの頃からか、人々は「はなかみ先生」と呼ぶようになりました。