<第2回>米国女子代表監督を招聘しなかった協会の罪
4戦目のベトナム戦(7日午後7時35分開始)前に中国が韓国を1―0で破り、勝ち点を10に伸ばした瞬間、なでしこの4大会連続五輪出場は雲散霧消した。
11年ドイツW杯優勝を皮切りに世界トップで存在感を示してきたが、まるでブレーキの壊れた車が急坂を転げ落ちるように暴走し、奈落の底に沈み込んでしまった。
なでしこ突然の凋落の原因は何か? 少なくとも08年から続いた佐々木則夫監督(57)の長期政権がマンネリを呼び込み、チームの弱体化を招いたのは間違いないだろう。
NTT関東(現J1大宮)の強化部長、ユース監督などを歴任していた佐々木監督は、旧知の大橋浩司なでしこ監督(当時)から「手伝って欲しい」と誘われ、大宮のトップチーム監督など引き合いがなかっただけに渡りに船とばかりに女子サッカー界に転身した。
07年中国W杯でなでしこはグループリーグ敗退。大橋監督は退任して08年1月、佐々木監督にバトンタッチした。高圧的な指導で選手から総スカンを食らった大橋監督を反面教師にし、佐々木監督は選手を上から目線で抑え込まない。オヤジギャグを飛ばしてフレンドリーな雰囲気を。MF澤、MF宮間ら主軸の自主性を重んじることで女子選手に受け入れられていった。