<第2回>米国女子代表監督を招聘しなかった協会の罪
ところが、11年ドイツW杯を制してチヤホヤされ、講演会などで収入が増えると佐々木監督にも傲慢なところが散見。さらに代表選手選考や試合中の選手起用、戦術変更などで不手際が続き、12年夏のロンドン五輪が終わった頃には求心力は皆無。フレンドリーどころか、一部選手からノリオと呼び捨てにされるありさま。完全にバカにされていた。
■ラッキーが重なっただけ
そのロンドン五輪が終わった頃、監督交代の絶好のチャンスがあった。08年から米国女子代表を率い、08年北京、12年ロンドン五輪で連続金メダルに輝いたピア・スンドハーゲ(56)である。
米国人女子サッカー選手の強靱なフィジカルを前面に押し出し、チームを強化して結果を残したスンドハーゲだが、11年ドイツW杯でなでしこのパスサッカーに衝撃を受け、フィジカル、プレッシング、パスサッカーを融合させ、ロンドンで五輪連覇を達成した。
五輪後、契約を延長しなかったスンドハーゲは、「日本女子のサッカーは、まるでFCバルセロナの流麗なパスサッカーを見ているよう。世界の最前線・なでしこサッカーをリスペクトしている。日本女子代表を率いてみたい」と話しており、このことは日本サッカー協会の関係者の耳にも届いたようだ。