打点王を取るため最終打席で狙って一発 最初で最後のタイトル獲得の舞台裏
私は最終戦を残してリーグトップタイの79打点を挙げていた。打率.302でキャリア初の3割も当落線上。打点王争いはこの時点で並んでいた田中幸雄(日本ハム)も残り1試合。1差で78打点のイチロー(オリックス)が2試合を残していたのが不気味だった。
7年目の1995年。私は最終戦で4打席ノーヒットなら3割を切る計算。だから、この試合で2打席凡退し、打率が.2997になった時点でボビー・バレンタイン監督に「今、交代すれば(四捨五入して表記上は)3割をキープできる。どうする? 交代する?」と意思確認された。
これは持論だが、3割は自分との戦い。
打点王は他球団のライバルをはじめとした相手との戦い。走者がいるかいないかなど、味方との兼ね合いもある。
タイトルを取れるチャンスなんて二度と巡ってこないかもしれない。私は迷わなかった。
「3割は切ってもいい。1点でも打点を稼ぎたいので、打席に立たせてください」
そして迎えた最終の第4打席も走者なし。この日は3度走者がいなかった。もう本塁打しか打点を挙げられない。普段はやらないが、私は初めて本塁打を狙って打席に入った。投手は豊田清(西武)だった。