ポツダム宣言前、賊軍派による対ソ政治工作は拙かった

ソ連を仲介とする案が国策上もひとまず決定したが、そのための具体策は首相、外相の経験者である広田弘毅がソ連の駐日大使のヤコフ・マリクと会って反応を打診することにあった。広田はマリクと外交官仲間ということで、国策の決定以前からしばしば会って、ソ連との間で戦端が開かれないような地なら…
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