食道がんで急死した松山英太郎 父子同時納骨
<1991年1月>
名女形の河原崎国太郎の長男でTBS時代劇「江戸を斬る」の鼠小僧次郎吉や「大岡越前」の猿の三次役が人気だった松山英太郎。食道がんで急死したのは91年1月11日のこと。48歳という早すぎる死に衝撃が走った。
松山が体の不調を訴えたのは90年9月3日。微熱が出て、「食事のときに食べたものがノドに引っかかる」「ご飯が硬く感じる」と、翌日、主治医の診察を受けた。レントゲン検査で食道がずいぶん腫れていることが判明し、その後も症状は改善せず、1週間後に病院で内視鏡検査を受けた。
診断の結果は末期の食道がん。しかし、病名は「食道潰瘍」と発表されて、がんであることを知らされたのは松山の弟らごく一部の関係者。松山本人も2人の子どもも食道潰瘍と信じていた。
当時、竹脇無我や船戸順らとともに森繁久弥が座長を務める東京宝塚劇場の公演に出演していたが、舞台出演はドクターストップ。翌11日には緊急入院となった。「他の共演者に申し訳ない」と謝る松山に、座長の森繁は「あせっても仕方がない。いまはゆっくりと静養して早く体を治しなさい」と諭した。