食道がんで急死した松山英太郎 父子同時納骨
10月8日、腫瘍切除の手術が行われたが、すでにがんは肺や肝臓にも転移しかけており、すべての腫瘍を取り切ることはできなかった。しかも、そのわずか3日後、今度は父親の河原崎国太郎が脳梗塞で亡くなる(享年80)。手術直後の松山にショックを与えないため、父親の死は伏せられた。松山の弟は「手術は成功しましたが、兄貴はまだICUだし、父が死んだことは言わないように主治医のストップがかかっているんです」とコメント。15日の密葬は松山に知らされないまま行われた。
その後、主治医の口から父の死を知らされた松山はベッドで声を上げて泣いた。10月31日には前進座の劇団葬が行われたが、松山は29日に食道と胃をつなぐ2度目の手術を受けたばかりで、外出許可が下りなかった。このため松山は喪主でありながら父の劇団葬に参列できず、「仏になってしまった父に線香の一本も立てられない親不孝を詫(わ)びつつ、病床で手を合わせております。長男の仕事として、父の納骨は自分の手で行いたいと思います」とメッセージテープでの参加となった。
病状は一進一退。一時はトイレにひとりで行けるまでに回復したが、年が明けると意識が朦朧(もうろう)とするようになる。1月11日昼過ぎに「胸が苦しい」と言うと意識不明に。そのまま夕方4時40分に息を引き取る。がん判明からわずか4カ月の闘病生活だった。