日活から米映画界で成功…筑波久子さんは77歳に見えぬ色香
「それとは別に継続的な町おこしのために、北茨城市にメディアクリエーターの育成とエンターテインメントの情報発信基地を創出する企画も進めてる。こっちは私がアメリカで映画プロデューサーとして培った人脈を目いっぱい、生かすわ」
さて、筑波さんは慶応義塾女子高在学中に二谷英明、小林旭らとともに日活第3期ニューフェースに合格。慶大法学部政治学科に進学後、「復讐は誰がやる」でデビューし、「肉体の反抗」「肉体の悪夢」「燃える肉体」などの「肉体」シリーズでグラマラスな肢体を披露した。
「でも、“肉体派”のイメージがついちゃって、プライベートでも奔放な女みたいに見られた。それが嫌で」、24歳で渡米してコロムビア大学に留学。そして27歳の時、3歳年下の米国人男性と結婚、長男のキース君を出産するとともに、映画プロデューサーとして、ジョー・ダンテ監督の出世作「ピラニア」(78年)、ジェームズ・キャメロン監督のデビュー作「殺人魚フライングキラー」(81年)を手がけてともに大ヒット。“ヤリ手”と評判になった。
「ところが、キースがチェルノブイリ原発事故で人類の将来に悲観して、16歳で自ら命を絶ってしまった。結局、離婚して、独りぼっちのどん底を体験した時期もあったわ」
それでも日米を往復しながら映画製作に携わり、09年には日本映画批評家大賞「ゴールデン・グローリー賞」を受賞した。
「日本じゃすぐ年齢を聞かれるけど、意欲さえあれば年齢なんか関係ない。これからは北茨城市と茨城県が世界に認められるようガンバるだけよ」