疑惑を知りつつ…清原和博を美化して醜態晒したテレビ局
特に「人は見かけによらない」なんて説は、極めてレアケースを持ち出した芸能界特有のものにすぎない。一般的な統計を考えると、人間はまだまだ高確率で見かけによる部分がある。もちろん例外はあるにせよ、その例外を一般化して語るのは危険だ。
かつて故・ナンシー関はそういう芸能界のことを動物園にたとえた。確かにテレビという檻の中にタレントという非日常的で希少な生き物を住まわせ、それを大衆に公開するから見せ物として成立するわけだ。
ただし、それならば動物園の飼育員が猛獣の暴走を制御するように、テレビ局員も一般良識とのバランスをとりながら要所でタレントの手綱を締め、最低限の秩序を保つ役割を担うべきである。だからこそ、テレビ局員は高学歴かつ豊かな教養を求められるのだ。
しかし、実際のテレビ局員はタレントの奇抜な価値観に理解を示し、彼らと仲良くなることで、ミーハー的な特権意識を満たすようになった。だから清原の番組出演を容認する芸能界独特の感覚を止められなかったのだろう。動物園の飼育員が猛獣に媚を売っているようなものだ。こんなに怖い動物園はない。
先ごろのSMAP解散騒動における偏向報道の件もしかり、地上波テレビはどこまで醜態を晒し続けるのだろうか。地上波テレビは実質的に新規参入のない国の免許事業なのだから、視聴率欲しさという過剰な商業主義は、無節操の言い訳にはならない。
(作家・山田隆道)