デビュー1年で挫折も「頑張れ」 石橋凌が継いだ恩人の遺志
ロックバンド「ARB」のボーカルとしてデビューし、映画「杉原千畝 スギハラチウネ」「キッズ・リターン」「クロッシング・ガード」など国内外で俳優として活躍する石橋凌さん(59)。芸能界への入り口に導いてくれたのは、06年に亡くなった地元ラジオ局のディレクター・岸川均さんだ。
■チューリップや海援隊を東京へ後押し
私がプロのミュージシャンとしてデビューできたのは、KBC(九州朝日放送)ラジオのディレクターだった岸川均さんのおかげですね。
子供のころからビートルズとかボブ・ディランといった欧米のロックを聞いて育ち、高校1年のとき、音楽研究同好会に入って先輩や同級生と5人でロックバンドを組んだんです。そして、プロへの登竜門といわれた「歌え若者」というラジオ番組や「照和」という福岡のライブハウスに出演し、セミプロみたいに活動していたんです。岸川さんは「歌え若者」のディレクターでした。
縦ストライプのスーツを着て、パンチがかったパーマをかけ、漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」のやすしさんみたいな風貌でした。当時は一切笑わず、チューニングやコーラスとかの音(ピッチ)に厳しい方で。チューリップや海援隊といった九州のたくさんのミュージシャンを、東京へと後押ししてくださった方なんです。