デビュー1年で挫折も「頑張れ」 石橋凌が継いだ恩人の遺志
■ワンボックスカーでドサ回り1年半
会社側は「社会問題を歌うな」「男女のラブソングだけを歌え」というんですね。納得できなかった。
5人のうち3人と、マネジャーを加えた4人でワンボックスカーを買い、それから悲惨なドサ回りを始めました。ラジカセやレコードを質に入れてお金をつくり、1年半くらいは毎日カップ麺しか食べられない生活でした。それでもやってやろうと思っていたんです。
でも、私の考えるロックは日本では茶の間に受け入れてもらえず、27、28歳の頃、「もう限界、歌をやめて田舎へ帰ろう」と思っていたところで出会ったのが松田優作さんでした。彼との出会いで俳優への道が開けました。岸川さんは私の作品を見て、ミュージシャンとは違う一面を評価してくださっていたと聞いています。
岸川さんが亡くなって10年。毎年、命日の11月17日前後に、地元出身のミュージシャン20人くらいで追悼音楽イベント「風音」を福岡で開いています。「60~70年代のような活気のある音楽シーンを取り戻したい」とおっしゃっていた岸川さんの遺志を継いでいきたいと思っています。