デビュー1年で挫折も「頑張れ」 石橋凌が継いだ恩人の遺志
高卒後、自分のバンドはメンバーが就職したりして自然消滅。それでも、ビルの窓ふきとかデパートの配送のアルバイトをしながら、プロ入りのチャンスを探っていました。
東京の大手レコード会社から2度、ソロ歌手にと声をかけてもらったのですが、バンドにこだわり断った。そうしたら、まったく声がかからなくなりました。
卒業して2年目の1977年春、2年弱バイトを続けていた久留米のイタリアレストランでシチリア島への留学話をもらい、ロックはあきらめコックの道でもいいかと思っていたところ、岸川さんから「東京でバンドのボーカルを探している。オーディションを受けてみないか」と電話がきたんです。それがデビューすることになる「ARB」でした。落ちたらコック、これが最後のチャンスだと思いましたね。
「ARB」のボーカルとして78年にデビューし、翌79年に1枚目のアルバムを出した。
ところが、アルバムの収録曲の自殺を憂う「喝!」という歌が、レコード会社の上層部の逆鱗に触れてクビに。メンバー5人で住んでいた合宿所を追い出され、楽器も取り上げられてしまいました。デビューしてたった1年。岸川さんに報告したら、私を叱ったりいさめるのではなく、「そうか。がんばれよ」と応援してくれました。