“美声”の元大関 増位山太志郎さんが感謝する2人の恩師
“角界一の美声”といわれた元大関で三保ケ関親方だった増位山太志郎さん(67)は13年11月に日本相撲協会を定年退職。その後は歌手に専念し、今は「歌で横綱を目指す」と語る。恩人はこの2人……。
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私が「いろは恋唄」でキャニオンレコードから歌手デビューしたのは今から42年前、1974年です。父親(初代増位山、9代目三保ケ関親方)の親友だった演芸評論家の小島貞二さん(故人)が「レコードを出さないか」と話を持ってきてくださったのがきっかけでした。
小島さんは元出羽海部屋の力士だったので、引退後も角界の方々との付き合いが深く、その一方で放送作家をされたり演芸評論家として幅広くご活躍していたため、レコード業界ともつながりがあったんです。
名古屋場所で初めて小結に昇進した年でしたが、小・中学生の頃は相撲取りより歌手になりたかったくらい歌が大好きでしたから、そりゃあうれしかった。師匠の父親も「相撲だけやっていては幅が出ない。いろいろな芸を経験して一芸に幅や奥行きが生まれる」って考え方。少し前に藤圭子さんをプロデュースした作詞家の大御所、石坂まさを先生からレコーディングを打診されたこともあったので、一も二もなく承諾したんです。