“美声”の元大関 増位山太志郎さんが感謝する2人の恩師
かといって、現役力士ですから大々的なキャンペーンができるわけもない。話題になったものの、セカンドシングルの「両国エレジー」とも、ヒットとまではいきませんでした。
そんなある日、演歌職人の異名を持つ音楽プロデューサーの曽根一成さん(故人)がアポなしで三保ケ関部屋を訪ねてこられました。曽根さんは後に細川たかしさんの「港夜景」、三船和子さん復活の大ヒット曲「だんな様」、村田英雄さんの晩年の名曲「男の一生」をプロデュースされている方で、角刈りで一見、こわもて。多弁ではないけど独特の押しの強さがありました。
それで生まれたのが、74年8月10日リリースの3曲目、「そんな夕子にほれました」です。作曲は私の声質をご存じだからと「いろは恋唄」の山路進一さん。作詞が初代林家三平師匠のおカミさん・海老名香葉子さんでした。海老名さんとは旧知だったそうで、「おカミさん、ちょっと作んなよ」と。そんな気軽というか、結構、安易な感じで依頼したそうです。
後日、峰竜太さん(夫人の海老名美どりは香葉子さんの長女)のラジオ番組に出演した際に、師匠の家のお手伝いさんが「夕子」さんで、4小節の「キャベツをきざむ手を止めて」は、台所でキャベツを切ってる情景を描写したとお聞きして驚いたものです。