石川敏男さん<5>市毛良枝の食事中にマイクを突き付け…
石川さんは、松竹、主婦と生活社、芸能リポーターと職歴は変わっても「必死に働いた」と自信を持って答える。30歳の若さでマイホームも購入した。
「僕は向島で玩具工場を経営する裕福な家庭で育ちましたが、小学校4年の時に父親が事業に失敗。78年に母の貞子にがんが見つかり余命いくばくもない彼女(64歳で死去)が『庭のあるお家に住みたい』とポロッとしゃべった。僕はその願いをかなえてあげるため、まだ独身でしたが、千葉の柏市に家を建てたのです」
もっとも、この母の願いが、その後に結婚することになる女性を引き合わせてくれた。
「家を建てた不動産屋の社長が『近くの酒屋に地元で有名な美人3姉妹がいるよ』と耳打ちしてきたのです。“どれどれ”と興味を引かれてたばこを買いにいったら、はっとするような美人がいた。それが今の奥さんです。それからは彼女に会うため、用もないのにたばこや酒を毎日、買いにいきました。結婚してから『なぜ僕と結婚したの?』と聞いたことがあります。彼女は『この人は仕事はできる。一生、食わしてくれるだろうと思った』と答えました。おそらく、デート中も仕事の話しかしてなかったんでしょうね」