おかず卵1個…映画監督・飯田譲治さんの上京後の極貧生活
話題作として注目を集めた「NIGHT HEAD」「らせん」「アナザヘヴン」など映画、ドラマで演出を手掛け、映画監督、脚本家、小説家としても知られる飯田譲治さん(59)。ひもじい生活を卵1個でしのいだり、スリに遭ったりの上京後や助監督時代を語ってくれた。
■バイトの肉体労働は立ちんぼやウエーター
18歳で東京に出てきて最初に住んだのは、亀戸駅から歩いて15分くらいのアパート。東京のことがまったく分からなかったから、“とにかく安いところ”と考え、家賃1万3000円の部屋に住みました。
まさに極貧でしたねぇ。朝起きたら40円しかなくて、部屋にあるメシを炊いて、卵1個を買ってきてオカズにしてた。
乾物屋で卵を10円か15円でバラ売りしていた時代。駅からアパートまでの道ですべての自動販売機のおつり口に手を入れて帰ったり。100円玉がたまに見つかると幸せでね。電車で“キセル”して100円を節約するのに必死でした。今はパスモだから若い人は分からないだろうけど。
その部屋は1年で出て、次に下落合の4畳半のアパート。家賃は1万6000円。亀戸より3000円上げたけど、それが精いっぱい。第一線でバリバリやってた漫画家の赤塚不二夫さんが仕事場にしているマンションが近くで、たまに赤塚さんとすれ違いました。昭和50年代前半かな。