中卒で上京…船木誠勝の原点は母の3万円と親父への反発心
新日本プロレス、UWF、プロフェッショナルレスリング藤原組を経て、パンクラスを設立し活躍したプロレスラーの船木誠勝さん(48)。3年前からフリーになったが、これまで厳しいトレーニングに耐え戦ってくることができたのは、故郷・青森での貧しくつらい子供時代があったからだ。
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中学を出てすぐに上京し、アントニオ猪木さんが立ち上げた新日本プロレスに入団しました。
青森県弘前市で生まれ育ちましたが、小学校6年の時に父親が家を出て両親は離婚。母親が裁縫の仕事をして育ててくれました。周りには中学を出てすぐに働いている友達もいたので、オレも中学を出たら働こう、プロレスラーになろうと中学2年から思っていました。プロレスが好きだったし、砲丸投げで自分なりに鍛えていたので。
オヤジはバスの運転手でした。ギャンブルが凄く好きで、競輪で勝って一時期は家を2軒持っていて、1軒を他人に貸すほど羽振りがよかった。でも、すぐにうまくいかなくなったんでしょうね。借金して、ギャンブルにつぎ込んで負けて、取り返そうとまた借金して……。夕方になると毎日、借金取りがウチに来ていました。母親が対応して、小学生だった自分は何もできずただ見ているしかない。貧しさより自分の無力さが悔しくてつらくて、今も思い出すほどです。