花と嵐の50年…サンミュージック“波瀾万丈”も倒れない秘訣
売れてナンボの芸能界。それで居丈高になり、横柄な態度をとるようなタレントは少なくない。
「売れたらさらにその意思を尊重し、ある程度のワガママを許すのがサンミュージック流。創業者の故・相澤秀禎社長は“来る者拒まず、去る者追わず”が信条。そうした社風も、当時の聖子を増長させてしまったのかもしれません」(前出のベテラン記者)
86年にはアイドル岡田有希子さんの自殺という悲劇もあった。また、92年には桜田淳子が統一教会に入信し、合同結婚式に参加して大騒ぎにもなった。やがて歌謡曲の時代が終わると、トレンディードラマなどが流行。この頃は女優もこなせる酒井法子がドラマ「星の金貨」の大ヒットで売れっ子になり、安達祐実が大ヒットドラマ「家なき子」で続いた。
相澤秀禎氏は社長時代、「タレントは家族」をモットーとし、10代の若いタレントのデビューにあたっては成城の自宅に住み込ませていた。酒井もそのひとり。元専務で現名誉顧問の福田時雄氏は「なるべく時間をつくって、いろいろ悩みを聞いてあげたりしていた」と一部インタビューで語っている。だが、酒井は2009年に覚醒剤事件を起こし、逮捕される。事務所は損害賠償約5億円を肩代わりしたと伝えられるが、結果、解雇処分に。所属タレントのまま、酒井の更生はかなわなかった。民放関係者が言う。