「一流の立ち振る舞いを」勝さんの教えで銀座通い2カ月
役者の道を志す息子を母のいつさんは快く送り出した。
ところが、松平が初めて主役を演じたドラマ「人間の條件」(フジテレビ系=1976年)を見て、役者をやめなさいと言わんばかりに心配したという。上官に殴られてばかりいる新兵の役だったため、本当に殴られていると勘違いしたらしい。
「私が子供のころ、母は父とよくケンカをしてましたね。父は結構な酒飲みで、それで命を縮めてしまったようなところもあります。大工の仕事を終えて帰ってくると、いつも飲んでいた。飲むのは日本酒ではなく焼酎ですよね。当時の焼酎はかなり安かったですから」
1956(昭和31)年には25万キロリットルの生産量を誇った焼酎甲類は、高度経済成長とともに人気に陰りを見せ、10年後には生産量も半減している。その背景にはウイスキーの台頭があり、焼酎は肉体労働者が飲む酒のイメージがあった。
後年、松平が師と仰ぐ勝新太郎(97年=65歳没)はこれとは真逆だった。
「ちょうど、暴れん坊将軍が始まったくらいのころでした。勝さんから『赤ちょうちんもいいが、居酒屋に10回行くお金があるなら、銀座の高級クラブへ1回行け』とアドバイスされた。その言いつけを守り、銀座のクラブへ2カ月ぶっ通しで通い続けました。行った店は、作家の山口洋子さんの『姫』など銀座で1番、2番と言われた店ばかりです。ある日は仲間と3人で1時間、ジュース1杯で18万円の会計だったこともありましたね」