仏映画の巨匠ルネ・クレールが活写する“毒婦”に現代を見る
フランス映画の巨匠、ルネ・クレール監督の2本の名画が先週から恵比寿ガーデンシネマ(東京・渋谷区)で公開されている。「巴里祭」(1933年)と「リラの門」(1957年)だ。4Kデジタル・リマスター版の実にクリアな映像で蘇った。監督の生誕120周年記念上映である。
2本とも素晴らしいが、続けて見るとあることに気がつく。女性描写のいきの良さだ。「巴里祭」なら、一度は別れた男の気持ちを引き留めようとするポーラ・イレリ演じる妖艶な女性。不意に上半身の肌があらわになるシーンにゾクッとする。見る側の刺激度の喚起もさることながら、男が彼女の体に未練があることも示しているのだ。しかも彼女はその気になった男をあっさりと振る。
「リラの門」なら、ダニー・カレルが扮した酒場女がまた威勢がいい。可憐な顔をしながら、酒飲みのさえない主人公の男に思わせぶりなそぶりを見せるが、突如豹変する。薄手のセーター風上衣から突き上げたような胸の膨らみが表情の可憐さを裏切って、男を翻弄する強烈なシンボルのようにも見えた。
しかもこの2人、犯罪者のワルになびいていくのをきっかけに純情な男を振り切るのだから始末が悪い。ワルに引かれる女性は現代でも結構多いだろう。凡庸さが際立つ男にはない魅力があるのだ。両作品ともに、ワルの大きな魅力のひとつに性的な要素があることも見逃せない。綱渡り人生の単なる危ない男の側面だけが、女性を引きつけるのではない。
ルネ・クレール監督というと、人情味あふれる古き良きパリを描いた巨匠と思われがちだ。確かにそうだが、けなげなヒロインがいる一方、毒婦のような女性像の描写でも群を抜く。男女関係の奥が深いフランス映画の巨匠たるゆえんだろう。