デビューした1979年は韓国政界に激震が走り芸能界にも暗雲
♪あの人が好きやねん くるうほど好きやねん 北の新地に雨が降ります 悲しい歌が聞こえる あほやねん あほやねん 騙された私があほやねん(「大阪暮色」から)
今年(2019年)は桂銀淑にとって歌手デビュー40周年にあたる記念の年でもある。あの1979年には芸能界だけでなく、韓国政界に大きな激震が襲った。10月26日、KCIA(韓国中央情報部)の金載圭部長による朴正煕大統領暗殺事件である。この事件は軍事独裁政権崩壊の端緒となり、民主化運動(芸能界を含む)を求める国民の声が全国に広がった。事件前の一時期、人気歌手李美子の歌が“倭色”(日本的メロディー)として長い間、禁止されていたこともある。若者の長髪禁止、政権批判のフォークソングも禁止されていた。
朴大統領は74年8月15日、夫人の陸英修女史が光復節(解放記念日)の記念式典会場で暗殺された後、孤独な生活を慰めようと、側近が青瓦台近くの宮井洞にある安家(秘密の家)で1カ月に2度ほど人気歌手やタレントを呼んで、夕食を楽しむのが恒例だった。
朴正煕大統領が暗殺された宴席に同席していた芸能人は歌手沈守峰と女子大生モデルの申才順の2人。沈守峰は当時、「クッテ・クサラム(あの時あの人)」というヒット曲を出した人気歌手。日本では「男は船、女は港」の歌手としても知られている。沈守峰は暗殺事件の現場にいたことから、中央情報部から5年間芸能活動を禁止されてしまった。