デビューした1979年は韓国政界に激震が走り芸能界にも暗雲
当時人気急上昇の桂銀淑も宴席に呼ばれたのではないかという噂も流れたが、当時、未成年(18歳)の彼女が呼ばれることはなかった。そんな噂が流れるほど桂銀淑の名前は売れていたということだろう。
「私はお金よりもファンや人を大切にする寂しがり屋です。本当は大人になりたくなかった。日本のファンは青空のように澄んでいて、曇ったものが一つもありません。私の人生には今、歌しかありません。私は歌えるだけで満足です。韓国の歌手がなぜ上手かって?それは民族のDNAにあるかも知れません。この国(朝鮮半島)は歴史的にも戦争や内乱、南北分断、中国や日本による支配など数々の悲しい歴史を経験してきました。韓国固有のパンソリと呼ばれる民族音楽の豊かさも特徴的です。南珍、羅勲児、李相烈のようなトロットとよばれるジャンルもあります。女性ではパティ・キムや金相姫のようにジャズも得意な歌手もいます。でも喜びも悲しみも皆、歌で表現してきたのです。あと韓国人が好きなキムチが喉によいのかも知れませんよ」と言って桂銀淑は笑った。
(つづく)
♪ケイ・ウンスク 1962年7月28日、韓国ソウル生まれ。歌手。高校在学中からCMモデルとして活躍し、79年に韓国でレコードデビュー。アイドル歌手として人気を集めた。作曲家の浜圭介に見いだされ、85年にシングル「大阪暮色」で日本デビュー。その後は「すずめの涙」「ベサメムーチョ」などヒット曲を連発。NHK紅白歌合戦には88年から94年まで7年連続出場。