女優・劇作家 渡辺えり 中止舞台の補償をして欲しかった
文化芸術への理解の浅さ
演劇界もコロナ禍の被害は甚大だ。「ぴあ総研」によれば、舞台やコンサート、スポーツイベントの中止・延期は今年2月から来年1月までの1年間で約43万2000件、損失は約6900億円、年間市場規模の77%。そのうち、演劇・ステージ分野の損失は1600億円にも及ぶ。公演中止で立ち直れないほどの経済的損失を被った劇団も数多い。演劇界の再生に向けて文化芸術復興基金の設立を呼び掛けるなど、積極的な活動を行っている日本劇作家協会会長で女優・劇作家の渡辺えり氏に話を聞いた。
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―――今回の自粛について、まず個人的な影響は?
「私とキムラ緑子さん主演で3月から4月にかけて新橋演舞場と大阪松竹座で上演される予定だった舞台『有頂天作家』が初日の3月13日直前に中止になりました。大和田美帆さんが出演されていてゲネプロ(本番と同じ稽古)には亡くなった岡江久美子さんも見に来てくれて、喜んで下さっていた。それがですから……役者もスタッフも号泣でした。隔月ライブハウスで行っているコンサートも中止です。でも、一番残念だったのは、8、9月に予定していた『女々しき力プロジェクト』の公演延期です。私を含めた5人の女性劇作家が5作品を連続上演する試みで、20年来の構想でしたから、かなり落ち込みました」
――劇場は通常2年先まで埋まっているため、仕切り直しても再演は早くて2023年だ。
「しかも高齢の女優さんたちが30人も出演する舞台なので、3年後がどうなっているかわかりませんしね。演劇は1年前から準備して、稽古も最低1カ月。それが全て白紙になるのだから経済的にはもちろん、精神的にもダメージが大きいと思います。多くの俳優やスタッフもわずかな収入を断たれ、このご時世ですからアルバイトもなく大変な思いをしています」
――そんな窮状から設立された「文化芸術復興基金」に渡辺さんも携わっている。
「日本では演劇や音楽を『不要不急のもの』として軽視しがちですが、ドイツのグリュッタース国務相は『文化は平穏なときにだけ享受されるぜいたく品ではない。アーティストは生命維持に必要不可欠な存在』と声明を発表したし、ドイツのメルケル首相も『文化芸術は不要不急の娯楽ではなく、社会を多様に、創造的に育てるインフラである』と演説しました。どちらも女性の政治家です。日本は明治維新以来の男性社会。文化芸術に対する理解が浅いんです」
――文化庁は第2次補正予算で文化芸術支援に560億円の予算を計上したものの、現状はキャンセルされたイベント代金の払い戻しに関する税優遇措置のみだ。
「文化芸術に予算が充てられるだけでも大きな前進ですが、店舗などの休業補償に相当する、中止された舞台に対する補償がないことが、切羽詰まった演劇人にとって喫緊の課題。まずは中止になった公演の補償をして欲しかったというのが演劇人の偽らざる思いです」
―――これも安倍首相が「自粛は要請するが休業補償はしない」と言ったことに起因している。
「そうなんです。文化庁も理解を示してくださったけれど、この一言があるから、休演になった舞台の補償ができず、今後予定している公演に対して援助するという複雑な補償になってしまいました。そんなことより今、収入ゼロの状況をカバーする“シンプルな補償”が必要なんです。学校公演を専門に行っている児童劇団などは死活問題です。補償という対症療法があってこそ、国の継続支援が生きるわけですから。その意味で『自粛』と『補償』をセットにしなかった安倍首相には演劇界のみならず多くの国民が落胆したと思います」
「『演じる方もマスク着用』に至ってはギャグとしか思えません」
新しい生活様式に伴い、舞台の世界も“リモート演劇”“ネット配信”と新たなチャレンジを模索。コロナ後の演劇界はどうなるのか。
――「文化芸術復興基金」創設はライブハウス、ミニシアター、演劇の有志が、官民で文化芸術の支援を推進。先月21日にはネットシンポジウムが行われ、超党派議員も加わり5時間以上の配信に視聴者は10万人を超えた。
「小泉今日子さんが司会を引き受けてくれたというのも大きかったですね。小泉さんは自分の意思をはっきり発言する。個人事務所で独立していることもありますが、政治的発言だとバッシングされても全然へこたれない。すてきな女優さんです」
――復興基金を立ち上げなければならないほど日本の文化芸術は脆弱だ。
「日本の文化予算の少なさは目を覆うばかりです。フランスや韓国などは国家予算の1%。それに対して日本は0・1%。10倍もの差があります。韓国などはもともと文化芸術予算が大きいのに加えて、今回のコロナ禍でもいちはやく『小規模公演場の防疫物品緊急支援』として3億ウオン(約3000万円)、『芸術家緊急生活安定資金融資』として72億ウオン(約7億2000万円)を用意するなど、文化芸術に対して手厚い補償をしています」
――コロナ後の演劇界はどうなるのか。
「公演の再開も耳にします。ただ、『3密を避けること』というお役所のガイドラインに忠実に従えば、演劇は成り立たない。客席の間隔を一定距離あけるという指針に従えば、700人収容の劇場でわずか100席……とてもじゃないけど採算が合わない。『演じる方もマスク着用』に至ってはギャグとしか思えません。おそらく演劇のことが分からなくて杓子定規な規定をしている部分もあると思います。今後、運用を柔軟なものにすることは可能だと思います」
■演劇は“サクランボの佐藤錦”
――改めて演劇の強みとは?
「3・11の震災後、ボランティアで福島の南相馬市や岩手の久慈市に慰問に行ったら、生の舞台を見たことがない人がほとんどでした。そんな初めて芝居を見た方も感動し、心を震わせるのは“生の舞台のチカラ”です」
――今後、どんな演劇的展開を考えているのか。
「今回のコロナ騒動で分かったのは、演劇はまだまだ世間的に認知されていないということです。今後は生の舞台だけに固執せず“生の演劇”と“リモート演劇”を共存させることができないかなと考えています。さらにネット配信なら地方でも、寝たきりの方でも劇場に来れなくても観劇できる。演劇界も、そういったネットの利点を最大限に生かしていけたらと考えています。山形に佐藤錦という高級サクランボがあります。私が子どものころは、ただ酸っぱいだけでした。それが改良を重ねて今のように絶品のサクランボになった。フランスから苗木を輸入し、150年かかってようやくおいしい『実』をつけるようになりました。演劇も同じ。舞台の上に立つ役者のほかに、音響、照明、衣装、制作など裏方がいて、おのおのの技術は長い時間をかけて磨かれてきました。演劇の『土壌』にあたる人材をコロナで失ったら、大変な損失です。演劇もサクランボも同じ。害虫や疫病に見舞われたら薬剤を投与するのと同じく、文化芸術には金銭的な支援が必要。コロナで演劇を殺しちゃいけない。そのために私も微力ながらお手伝いしたいと思っています」
(聞き手=演劇ジャーナリスト・山田勝仁)
▽わたなべ・えりこ 1955年、山形県生まれ。青俳演出部を経て、78年から「劇団3○○」を20年間主宰。劇作家として83年「ゲゲゲのげ」で岸田戯曲賞、87年「瞼の女 まだ見ぬ海からの手紙」で紀伊国屋演劇賞、女優として96年「Shall We ダンス?」で報知映画賞助演女優賞、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。2018年から(一社)日本劇作家協会会長を務める。