亡き渡哲也さんの悔恨は…“ポスト裕次郎”を育てきれず
■卵を育てる才能を持つ人はいなかった
そして渡さんの芸能人生における最大の悔恨は「ポスト石原裕次郎・渡哲也」を育てきれなかったことだろう。石原プロは2000年8月に開催した『21世紀の石原裕次郎を探せ!』に代表されるように、タレント発掘に力を入れるようになったが、すでに時遅し。徳重聡(42)を知っている人はギリギリいても、池田務(41)、宮下裕治(45)の名前を聞いて石原プロ所属と分かるのは芸能記者か一部のドラマファンくらいだろう。
渡さんの側には、小林正彦元専務(故人)のような商売上手な人物はいたが、残念ながらタレントの卵を育てる才能を持った人はいなかった。
「石原プロの力を持ってしても徳重聡がブレークしきれなかったのは、事務所にスターの原石を磨きあげるスペシャリストがいなかったからです。徳重はよく舘ひろし主演のドラマや映画で“抱き合わせ”でキャスティングされていましたが、演出家たちの評価はイマイチでした。石原プロが解散すると、無名の所属俳優は路頭に迷うことになりそうです」(芸能プロ関係者)
若手の神田穣(25)はすでに他事務所に移籍したが、貰い手が見つからない俳優もいるだろう。渡さんの死去によって一時代が終わったのは間違いない。
(芸能ジャーナリスト・芋澤貞雄)