亡き渡哲也さんの悔恨は…“ポスト裕次郎”を育てきれず
「西部警察」など数々のテレビドラマや映画で活躍した俳優の渡哲也さん(本名・渡瀬道彦)が10日、肺炎のため都内病院で死去した。78歳だった。
石原裕次郎さんの没後、2代目社長として石原プロを率いたのが渡さんだった。かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった石原プロも、渡さんの死と重なるように来年1月16日に看板を下す。渡さんが裕次郎さんからバトンを譲り受けたのは1987年。それから、石原プロは衰退の一途をたどってきた。
「2003年8月、『西部警察』の名古屋ロケで行われたカーチェイスロケで、見物客5人に重軽傷を負わせる人身事故が大きなターニングポイントでした。それまで石原プロの警察ドラマは見事なアクション・シーンを売りに高視聴率を記録してきましたが、あの事故をきっかけに一気に制作現場の空気が変わりました。テレビ局は派手なドンパチを避けるようになり、“ヒューマンもの”にシフトしていきました。今の警察ドラマのど真ん中にいる『相棒』がそれを象徴しています」(テレビ局関係者)
あの事故を教訓にドラマ制作のスタンスを変えれば石原プロも生き残れたのかもしれないが、「たられば」の話だ。“石原・渡が残した遺産”にこだわり続けるあまり、時代の変化に対応しきれず、視聴者も次第に敬遠するようになっていった。