坂本龍一と映画監督の園子温 2人とも長生きしてもらいたい
2021年2月。ふと1年前を思う。大阪市内のライブハウスで新型コロナウイルスのクラスターが発生。ロフトグループは3密回避、マスク着用など感染予防対策を講じたが、3月20日に陽性反応者が出てしまった。コロナ禍では「久しぶり。一杯飲もうか?」とも言えず、同世代の友達が亡くなっても葬式にも参列できない。高齢者の「生き場所」がSNSというのは寂しい限り……。手近なオンナとのショボイ情事に自責の念を覚え、それさえも懐かしいと思う自分がいる。50年前に音楽家・坂本龍一さん(69)は「必ず大物になる」と確信した。あのころが、今は泣きたいくらいに愛おしい。
1971年3月にオープンしたジャズ喫茶・スナック「烏山ロフト」の常連だった坂本龍一さんは、73年6月に営業を始めたライブハウス「西荻窪ロフト」でライブをやるようになった。でも客なんて全然入らなくて、1人、2人、3人……と数えるほど。それでも彼はアップライトのピアノの前に座って沈思黙考した後、両手を伸ばして白黒の鍵盤を叩き始める。
この一連の所作が「カッコイイ」のひと言。
烏山でもニシオギでも彼はモテまくった。ステージでピアノを弾くようになり、はっぴいえんど(細野晴臣、大瀧詠一さんら)、山下達郎、矢野顕子、ムーンライダーズ(鈴木慶一、渡辺勝さんら)、友部正人さんら日本の新興ロック、フォーク界の音楽に触れ、彼自身の音楽の<幅>が広がったと思っている。