桑名正博さんの周りはイイ女だらけだった
桑名さんは77年に松本隆・作詞―筒美京平・作曲「哀愁トゥナイト」のヒットで知名度がアップした。シンガー・ソングライターが「他人の作った曲をもらってヒットさせる」ことを否定的に捉える人たちもいた。
しかし、ライブハウスのステージに立ってくれるミュージシャンを支える側としては「シンデレラボーイの誕生!」とストレートに祝福したものである。思い出したくもないエピソードが……。
76年にオープンした新宿ロフトでライブが行われた。店内は超満員。プロダクションも気合十分だった。ところが途中で2度も電源が落ちてしまった。もちろん大トラブル。桑名さんはアカペラで見事に歌い切ってくれたが、プロダクションの社員は怒り心頭である。「予定調和なし。これがライブハウスの魅力。彼のアカペラは素晴らしかった。新しい魅力を発見できた」と伝えた。
社員の胸には響かなかった。その時以来、桑名さんがロフトのステージに立つことはなかった。
ライブハウスはミュージシャンを愛し、何とかして売れるように後押しする。しかし、メジャーになるということは「サヨナラ」を意味する。
「平野さん、もうロフトには出演するなって事務所の連中が言うんだよねぇ~。悪いなぁ~」
彼の人懐っこい笑顔が今でも思い出される。