「ヒット番組に名プロデューサーあり」といわれた昭和の時代
元テレビ朝日の名プロデューサー・皇達也さんが20日、亡くなった。享年79。
「欽ちゃんのどこまでやるの!」や「タモリ倶楽部」などのバラエティーから「ミュージックステーション」まで次々とヒットさせた。テレ朝を代表するプロデューサーとして業界にも名を轟かせていた。
全盛期に取材したことがあるが、声は大きく威圧感があった。3年ほど前、皇氏馴染みの店で遭遇した。昔と変わらない豪快な飲み方。大声で下ネタも絡めて女の子をからかう姿は「昔はこんなテレビマンが飲んで騒いでいたな」と懐かしかった。数年前に奥さんを亡くし慣れぬ独り暮らし。寂しさを紛らわすように飲み歩いていたと聞いた。
皇氏しかり、各局に名プロデューサーがいた昭和。「ヒット番組に名プロデューサーあり」といわれ局を代表する顔だった。
仕事ができる男はモテる。女優が監督に惚れて結婚するように、テレビ局のプロデューサーと歌手の結婚も珍しくなかった。古くは畠山みどりがフジの音楽番組のプロデューサーと。麻丘めぐみも続いた。「民謡界の百恵ちゃん」と呼ばれた金沢明子もフジのディレクターと結婚した。麻丘も金沢も後に離婚して騒がれた。夫の浮気が原因と喧伝された。