ダンディ坂野さん「We Are The World」のような曲作りを…
ダンディ坂野さん(54歳、芸人)
「ゲッツ!」で話題になり、一発屋と言われながら、バラエティーやCMなどで長年活躍しているダンディ坂野さん。芸人になる前はアイドル歌手を目指していたダンディさんにとって、目指すのは1980年代に世界のトップミュージシャンを集めて作られ、世界中でヒットした「We Are The World」のような曲を作ること。所属事務所の大勢の芸人たちで歌って紅白を狙いたい!?
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20年前、芸人事務所の吉本さんのRe:Japan(ダウンタウンはじめ吉本所属タレント11人による音楽ユニット)が「明日があるさ」を歌われているのを見て「アットホームでいいなぁ」と憧れました。
その思いがずっとあったから、2年ほど前に「僕の所属のサンミュージックの芸人たちみんなで歌いたい!」と考えました。それも「We Are The World」のように一人ずつ歌えるよう、各自のソロパートがあり、リレー形式で。うちは僕やカンニング竹山の古株を筆頭に、小島よしおや髭男爵から、ぺこぱまで変わった芸人や派手な若手が多いので、面白いんじゃないかと思いまして。
でも、そこそこテレビに出てきた芸人じゃないと、「だれだよ!」と言われちゃうので、20組で30人くらいかと思います。こればかりは事務所がゴーサインを出して、スケジュールから楽曲から費用まで、やってもらわなくちゃならないですけどね。
僕自身は1年前の自粛期間から音楽を学んで、パソコンでオリジナルの楽曲を作ってるんです。小学生から高校まではアイドルや歌謡曲が全盛の時代で、田原俊彦さんや松田聖子さんが大好きでした。ほかにも安全地帯やカッコよかった世良公則さんのツイストなど歌謡番組にそれまで出てこなかったタイプのバンドも好きで。
自分も歌手をめざそうと考えていたけど、アイドルとか言ってられる年じゃなくなった頃にテレビでバラエティーがはやりだし、僕もバラエティーで活躍できないかと芸人を目指したんです。
1年前の自粛の期間に「好きな音楽をこの機会に作ってみよう」と自宅にこもり、独学で曲の録音を始めたんです。最初は好きな曲のカバーをやってましたが、そのうちオリジナルも作り始めて。
これが楽しいんですよ! 自分で歌詞を書き、曲をつけたら、パソコンでカラオケを制作するのですが、僕は楽器ができないので、ドラムも他の楽器もマウスでパソコンに打ち込んでます。キーボードは使いますが、和音を弾く程度で。
そのカラオケを聴きながら歌を録音して、音のバランスを調整し、歌に合わせた動画の制作まで一人でやってます。動画は無料の動画サイトにある背景から「街」「海」「夕やけ」とか選んで、スーツ姿で歌ってる僕は画面の端にワイプで出すんです。昔のレーザーディスクのカラオケ映像風というか(笑い)。
副社長!資金とゴーサイン頼みます
その動画を去年の夏から配信してます。自己満足のユーチューブですけど、楽しみにしてくれている方もいてくれて。録音やアプリにトータルで30万円くらいかかってますが、「音楽を作るってこんなに楽しいんだ!」と、この年になってあらためて気づいて、充実してます。
オリジナルは歌謡曲が多いです。「渚はコバルトブルー」という曲は80年代の聖子さん風で、事務所の後輩の女の子に歌ってもらいました。「渚のバルコニー」じゃない(笑い)。
だから、死ぬまでに事務所の芸人たちみんなで歌う曲をレコーディングできる時が来れば、曲作りに携わりたい! うちは他の事務所から来た芸人が多いので、たとえば「よそではダメだったけど ここに来て花が咲いた 場所が変わればいいことがあった」みたいな歌詞ならいいかなと。なんなら、曲も付けて実現したら、版権をガッポリもらおうかな(笑い)。
実際にやると決まった時は会社の人は「ちゃんとした作詞家、作曲家でやる」と言うと思いますけどね。ブッチャーブラザーズの岡(博之)さんが副社長になりましたから、話は通しやすいかな。実は竹山には前に話しました。竹ちゃんは僕なんかより芸人の統率力があるので、芸人たちに話を通してまとめてくれると思う。歌はうまいかわからないけど(笑い)。でも、ドラムができるそうなので、叩いてくれるのもいいですね。
僕のユーチューブで僕とデュエットをしてくれた鳥居みゆきはうまいし、モノマネの芸人は歌が上手。各芸人でソロパートを録音、撮影して、最後に「We Are The World」並みに全員で大合唱したい。この曲が当たれば紅白までいくかもしれません。それが死ぬまでにやりたいこと。
まずはお金の面で新しい副社長、まとめ役として竹ちゃんに了承を取らないと。僕は企画と楽曲という「おいしいとこ取り」をします。今までもそうやって生きてきましたし(笑い)。
(聞き手=松野大介)
▽1967年1月、石川県生まれ。96年からピン芸人として活動。「ゲッツ!」のギャグで一世を風靡。