女道楽・内海英華さん「入院14回」貯金できると体を壊し…
「私は三味線持って芸をやりたいんです」とカッパ師匠に伝えて、紹介してもらった三味線の桑原ふみ子師匠の元へお稽古に通いました。ふみ子師匠は長唄を教えてらしたけど、「英華さんは寄席の人だから」と出囃子を教えてくださり、私は桑原あい子の名で1984年から寄席出囃子も始めて。
でも、漫談と同じく出囃子も仕事がない。三味線はスナックでバンス(前借り)して12万円のものを買ったので生活費を切り詰めましたよ。スナックで賄い食べてお酒を飲んで、仕事が終わると夕方まで寝て、水しか飲まないで夕方6時にスナックに行き、夜中まで飲むという毎日でした。二日酔いだから家では何も食べない。せいぜいインスタントラーメンやカップメン。
3代目の桂春団治師匠たちが「ちょっと出囃子やってくれ」と落語会に呼んでくれて、1回3~4時間で3000~5000円いただけたかなぁ。「ぎょうさんくれたなぁ」という日で8000円。落語会の日も終わったらすぐスナックに行ってアルバイト。かわいがってくれてたレツゴー三匹のじゅん師匠が「嫁さんが店やるんで、英華ちゃん勤めてくれへんか」と誘ってくれた。店を移り、4年くらい勤めてましたよ。