追悼・柳家小三治さん 「なんだか江戸の長屋が消えたような気分に」(高田文夫)
久しぶりに柳家小三治師を見て聞いておこうと思って先月、9月14日、新宿の紀伊國屋ホールへ。小三治の盟友だった入船亭扇橋が宗匠となって相当、昔に「やなぎ句会」発足、話題となった。
メンバーが凄い。桂米朝、永六輔、小沢昭一、矢野誠一ら。人間国宝・米朝の俳号(俳句を作る時の名)は「八十八」。
米朝一門にはもうそれほどいい名が残っていないからと宗助が師の俳号であった八十八の二代目を継ぐこととなった。
その襲名披露が東京で1回だけ開催されたのだ。上方からズラリ揃って来て「やなぎ句会」を代表して小三治師も出ると聞いて駆けつけた。ざこば、南光、米団治、そうそうたる顔付けだ。
席を探すと「ここ、ここ」と手を振る好々爺。なんと矢野誠一の隣の席で小三治を楽しめるとは……そんな江戸の価値も分からず一人の男が名刺を差し出し「日刊ゲンダイっす。小三治さん大丈夫っすかネ」。何で、心の中で私も思っていることを矢野さんの前でしゃべるんだ。
矢野さんもニヤニヤ「時々ボケたふりするからなあ」と句友への感想。会も中盤、一度ドン帳が下がり、上がると椅子に座って板付き。なんだかニヤニヤしてくる。「落語やるの久しぶりでね……どうすっかな“道灌”でもやりますか……えーと(ソデに声をかけ)おいっ三三(出来のいい弟子)道灌ってどんな噺だっけ?」。もうそれだけで爆笑。
結局やらず世間ばなしのような、本にもCDにもなった“まくら”のようなもの。
口上ではざこば、南光らと並び米朝の友人のようなものとして江戸を代表してあいさつ。
本名・郡山剛蔵、その名の通り昔の侍のような武骨さ、孤高。なのに飄々としたおかしみ。落語の登場人物たちの“間”と会話の妙だけで落語本来のおかしさを聞かせてくれる。55年以上前、私はまだ二つ目だった「さん治・さん八の会」(本牧亭)へせっせと通う大学生。志ん朝、談志を追う若手として私はひとり注目していたのだ。
真打ちになり、さん治が小三治、さん八が扇橋。小三治を名乗ったんだから、きっとこの人が次の小さんになるんだろうなと信じていた。小さんにはならなかったが、師匠と同じ人間国宝になった。小三治師が死んでなんだか、江戸の長屋が消えたような気分になった。
(高田文夫/放送作家・ラジオパーソナリティー)