故・柳家小三治さんが貫いた「孤高の芸道」 演芸評論家が振り返る“師匠に怒られたある質問”
江戸落語の大看板、人間国宝の柳家小三治さんが今月7日、都内の自宅で心不全のため亡くなっていた。享年81。
「何事にも迎合することを嫌い、派手を好まず、極めて芸人らしからぬ、孤高の噺家でした」とコメントした落語協会会長、柳亭市馬の言葉通りの生き方を貫いた名人。ひょうひょうとした語り口と、とぼけた味わい、そして深い人間描写で高座からたくさんの人を笑わせ、涙を誘った。
報道では、つい先日も新宿末広亭でのTV番組の取材に顔を出していたという。腎機能の障害でことし3月に入院するも3週間で退院し、5月にはまた高座に上がり、7月中旬にはCDボックス発売記念イベントに出席し、こんな話をぶっていた。
「ここんところ、もしかしたら、今日の高座でおしまいかなと、いつも思ってます。それでもまあ、こういう考え方をして切り込んでいけば、よしやってやる、という気になるもので。だからとても楽しいんですよ」
小三治さんは長年、重度のリウマチを患い、激痛に大量の薬を服用してきた。それで免疫が下がって風邪をこじらせたりの連続の上、昨今は腰痛も抱え、退院後も自宅でリハビリと投薬治療に励んでいた。そんな満身創痍であっても、高座があれば、いつもの調子で客の前に出ていく。演目は「枕」で客の反応を見てから決めるという矜持。不調のときも小手先でうっちゃろうとはせずに、こんな言葉を自らに語りかけた。