飯野矢住代誕生秘話<26>「病院に運ばれましたが、先ほど亡くなったそうです」
11月から清瀬市内の織本病院に入院していた矢住代の母の辰子は、「この日、朝から胸騒ぎがして落ち着かなかった」と「週刊平凡」(1972年1月20日号)は書く。マグロの中トロを大皿にのせて矢住代が病室に現れたのは4日前のクリスマスイブ。その後、娘は姿を見せていなかった。「年末だから忙しいんだろう」と気にも留めなかったが、この日に限って辰子はそのことが引っ掛かった。鏡の前に立つと眉間に陰りが出ている。不吉の予兆を感じた辰子は居ても立ってもいられず、方々に電話をかけ始めた。渋谷の自宅アパートにはいなかった。辰子が知る矢住代の友人の自宅にもいない。矢住代が昨年まで居候をしていた音楽評論家の木崎義二の自宅にも電話をかけた。木崎本人は不在だったが、木崎の妻が出た。「悪い予感がする」「胸騒ぎがする」と訴えると、木崎夫人は「私も心当たりのあるところに電話をしてみます」と言った。
実際何軒か電話をしてみたものの、矢住代はどこにもいなかった。「もしかしたら、最近付き合い始めたIさんの家かも」と木崎夫人は思った。居候を解消してからも時々木崎家に姿を見せていた矢住代は「渋谷のアパートにいないときは、大体ここにいるから」と、Iの自宅の電話番号を木崎夫人に渡していたのだ。ダイヤルを回すと男性が出た。