五木ひろしの光と影<2>「ミスター平凡」の称号を手に入れ“演歌歌手の決定版”として期待を集める
芸能誌「月刊平凡」(1964年8月号)に「第15回コロムビア全国歌謡コンクール 7月上旬から地区予選はじまる!」という告知記事が載っている。
《コロムビア専属歌手「歌うミス・ミスター平凡」を選出する、第15回“コロムビア全国歌謡コンクール”の予選がいよいよ7月上旬からはじまります。下の規定をよくごらんのうえ、ふるってご参加ください》とある。参加条件は年齢、職業を問わず誰にでも門戸を開き、参加料は「一人一曲につき三〇〇円」(現在の価格で約1500円)。8月6日の函館予選を皮切りに全国各地で開催される地区予選を勝ち抜くと、9月8日に日比谷公会堂で行われる「決戦大会」出場の切符を得る。そこで男女1人ずつ選ばれた優勝者には豪華賞品と「歌うミス・ミスター平凡」の称号、そしてプロ歌手としてデビューする権利が与えられる。
前年度の「ミス・ミスター平凡」は、都はるみと千波竜一。特に、「困るのことヨ」でデビューした都はるみは、3曲目のシングル「アンコ椿は恋の花」が100万枚を超えるミリオンヒットとなり、新人にして早くもスターの座を射止めていた。また、58年のコンクールで優勝した榊原貴代子も、芸名を青山和子に改名し「愛と死をみつめて」をリリースすると、これが空前の大ヒット。64年の「日本レコード大賞」を受賞していた。つまり、このコンクールで優勝することは、スターの切符を手にしたも同然だったのだ。