元タレント森下千里さん「今後も国政選挙が目標」と明言 立候補決意から現在までを語る
森下千里さん(政治活動家、元タレント/40歳)
レースクイーンからタレント、そして昨年、衆議院総選挙に宮城5区から出馬して注目された森下千里さん。宮城県石巻市に移住して初の選挙に挑んだ理由と政治活動の苦労話、そして選挙後も辻立ちを続ける現在を聞いた。
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タレントの仕事を一生懸命やっていた20代の頃とは違い、30代になると政治への関心が膨らみました。
大きかったのは立候補するちょうど10年前の震災の年です。東京などにいた私の知人の多くが石巻に移住されたんです。自分の財をなげうったり仕事や地位を捨ててまでしてボランティア活動を始める人が多くて。中には移住して会社を立ち上げて経営する人もいました。その会社では雇用を生み出して、今も頑張っています。
自分の仕事や生活があるのに、移住してのボランティアや、ボランティアを集める旗振りの活動をするのはなかなかできないと思いますし、継続的には続かないですよ。
私は移住はしていなかったのですが、石巻に出かけてそういう知人の姿を見たりお話を聞いたりして感動したんです。「自分も行動できる人間になりたい」といつも考えていましたよ。
猫1匹をリュックに入れてお引っ越し
宮城県第5区の方に知り合いがいたご縁で、私が政治をやりたいと言うと面接を何度も行ってくれて、立候補予定者にしていただくことになったんです。それが昨年の3月で、翌4月には政治活動のために石巻市に移住しました。
その時は猫1匹をリュックに入れてお引っ越し(笑い)。最初は食生活が悲惨でした。コロナ禍ですからお店がやってなくて、活動が終わった時間にはスーパーも閉まっていて食材が買えない。挨拶回りの際に農家さんから葉野菜というか葉っぱをもらえたり、ご家庭におじゃますると、「生えちゃったのよね~」とおうちの玄関に生えたルッコラとか、いただいたものを食べていました。石巻の方はおまんじゅうやおせんべいといろいろ持たせてくれるんです。
辻立ちは6月からの4カ月間で1600回ほどやりましたから、1カ月約400回。立てる日は何十回とやりますが、例えばお盆の時期にスピーカーでしゃべっているのは失礼ですから、できない1週間もありました。
体力的にしんどかったのは選挙期間ではなかったけど、夏にチラシをポスティングして走り回った時ですね。1日1000軒以上ですから、朝起きると体が痛い。「毎日が運動会だ」と思っていました。選挙期間中には足を引きずっていた時もありましたが、病院に行く暇はありませんからね。
苦労したのはスタッフの人集め。事務所も含めお膳立てされているわけではないので、少ない人数で活動し、自分でも経理など事務作業もやっていました。お金はもちろんかかります。ポスター1000枚で50万円くらいとか。
政治活動には自分のお金も出していましたが、寄付がないと大変だとは思います。選挙になればポスターなどは公費負担になりますけど。
■アポなし番組で度胸は鍛えられた
でも、選挙中もその前もイヤな思いはありませんでした。お宅に挨拶で訪ねても、地元のみなさんはみんな温かくて。
それに私がタレントだった頃はアポなし番組がはやりで、「田舎に泊まろう!」(テレビ東京系)など突撃番組に出させていただいてましたから、度胸は鍛えられていたと思います。
見ず知らずの私に訪ねてこられるのは地元の方には迷惑でしかないですから、申し訳ない気持ちで「聞いてください」と丁寧にお願いすると、みなさん聞いてくださいました。
選挙後も引き続き活動し、今後の目標も国政選挙です。実は移住数カ月後に母も移住してくれて選挙中も手伝ってくれていました。「私一人では無理だから手伝ってほしい」とお願いしたら、私が親に何かを頼むことが一度もなかったので、驚いて飛んできてくれたんです。人生の一大事と思ってくれたみたい。今一緒に暮らしてくれています。
運動はもちろん地元の方の助けがないと活動はできない。活動地域にたくさんの知り合いができて、落選した翌日に辻立ちしていると、「落選したから帰っちゃったと思っていました。残ってくれてよかった!」と言ってくださる方もいてうれしかった。私はもう「戻る」という感覚はなくて住んでいる石巻を中心に頑張っていきます。
(聞き手=松野大介)
▽森下千里(もりした・ちさと) 1981年9月、愛知県生まれ。2001年にレースクイーンとして活動を開始。その後タレントとしてバラエティーなどで活躍。21年10月の衆院選に自民党から宮城5区に立候補。